SSブログ

宙の誘い釣りは究極奥義だったのか [釣り雑感]

  2016年6月15日
 まずこのタイトルが”究極奥義だったのか”とした説明をしておく。
実はつい最近までこんな簡単な事はあることに気が付けば誰でもできるのではと本気で思っていたのだ。だから誘い釣りが究極奥義だとは正直思っていなかった。しかし宙の誘い釣りに開眼してから、初めての釣り場や初めての釣りものでもかなりの確率で竿頭に絡むまたはダントツで竿頭等の釣果(結果)が出ているので確信に変わり記事にまとめたものです。

 たぶんこの記事は釣りが少しでも上手くなりたい悩める人のヒントにはなると思います。
(釣れなくても楽しい人はこの記事を読む必要はありません。また初心者から中級者くらいまでの方は読んでもたぶん理解できる人は少ないかと思います。)
まあ、こうやって自分の釣りを客観的に見直す意味もあるんだけど。(こちらが本音かも)

 私には、ある釣行を境に自分のフグやカワハギ釣りのレベルが上がったと感じた時があった。
つまりその日を境に劇的に釣果が変わっている。つまり何かに気が付いた日(釣行)である。
 これは宙の誘い釣りが出来るようになったということなのだが、この出来るようになったというのはよくわからないが宙でたまたま釣ったことがあるとか釣れちゃったという意味ではない。宙の釣りで一日通してコンスタントに釣ることができるという意味である。

 まず釣りが上手くなる瞬間とはどんなものか実際の体験を書いておく。
 これは東京湾奥の船宿入舟さんに通い始めた初心者のころの話です。夜アナゴ釣りに何回か乗ったある日私の釣りを見た常連さんから、○○君、アナゴ釣り開眼したね。と言われたことがあった。
 自分でも本アタリの感じをつかめたような実感はあったのだが、次回も同じように釣れるかは正直まだ自信が無かったのだ。
 でも常連さんが言うように実際その後のアナゴ釣りの釣果は竿頭が狙えるくらいに安定したのだ。つまり私の過去の例からしても、釣りが上達するというのは今回はこのテクニックが身についたから徐々に上手くなったかな?というのは気のせいであり実は上手くはなっていない。見せかけのテクニックではない、今まで感じ取れなかった小さな魚信に気が付き感じられた時から突然上手くなるのだ。

 ちなみにカワハギ釣りで誘い釣りはシンプルな釣法ゆえこれ程難しい釣法はないと言われている。
これは私が誘い釣りという究極奥義に開眼した時の話である。

つづく(この先の話は釣りの魔界でもあるので覚悟してクリックしてほしい)
くれぐれも釣れなくても楽しい人はこの先に進んではいけません。(笑い)

  私の場合は、ここ最近だと2011年7月17日の久比里の巳之助丸カワハギ釣行である。(その時のブログ記事はこちら


 確か前年に話題になっていたカワハギの宙釣りにチャレンジしようとダイワの極鋭レンジマスターを購入するもなかなか使う機会に恵まれず初卸をした日である。
 この日は決して宙に向いた日ではなかったが、その頃釣りに行けずに頭の中でイメージしていた宙の釣り(釣りに行けない日々が長かったがイメージトレーニングはしていたのである)が正しいのか確かめに行った釣行でもあった。(まあ簡単に言うと宙釣りの修行に行った訳である)
記事を読み返してわかることは釣行前にイメージしていた事は正解とはかなりズレていた事がわかる。かなり苦労して正解(見かけのテクニックではなく基本の大切さ)にたどりついているからね。当時の釣り雑誌や動画などからの情報から自分なりに分析していたのだが・・・。

 それまでの私のカワハギ釣りは入舟のデビ船長に頼み込んで教わった(私の知る限りデビ船長はマンツーマンで人に教えて弟子にすることはしてなかったと思う)ゼロテンションベースの弛ませ釣りだった。(ちなみにカワハギ乗船連続5回から7回ぐらいだったか忘れたが船長に釣り座も指定(船長の真下の胴の間)されて船長に卒業と言われるまでミッリ指導を受けたのだった)教えてもらうにはデビ船長の指示通りに釣りをする事それが条件だったのだ。
 この事は当時入舟の同年代の常連さんからはかなり羨ましがられたものである。なぜなら教えてほしいと頼んでも他の常連さんは教えてもらえなかったらしいのだ。デビ船長が引退してしまった今、恐らく私は最初で最後ののデビ船長の弟子だろう。
 ここでデビ船長について少し書きたいと思う。
通称デビ船長だが、デビル船長が本当の意味である。当時デビ船長操る船は東京湾の悪魔と呼ばれるほど凄腕の常連さんたちが集まっていたのだ。入舟が入ったポイントにはぺんぺん草も生えないと言われるほどだった。そのくらい研究熱心な船長と多くの常連さんを抱えており他船から恐れられていたと言っても過言ではないだろう。まあそんな伝説的な船宿だったのである。
 デビ船長についてはこのくらいにして話を元に戻そう。

 最初にデビ船長にカワハギ釣りの基本を教わった時に今から考えると一応すべての釣り方は教えてもらっていたのだが、その当時はゼロテンションからの弛ませ釣りしか理解できなかった。デビ船長に教わった内容は決して特別な事ではなくはカワハギの3つの基本釣法である。この3つとはカワハギ釣りの本や雑誌に出ている弛ませ釣り、誘い釣り、待ち釣りの事である。ただこの3つの基本釣法を実戦の流れの中で教わったので私は一番わかりやすかった弛ませ釣りを教わっているのだと思っていたのだ。(船長からは特にこれが誘い釣りだとかこれが待ち釣りだとか説明は一切なかったのだ。)もちろんこの当時はまだゼロテンションという用語はまだ普及していなかった。この言葉は入舟から広まったと記憶している。
 因みにゼロテンションというのは錘が着底し竿先が曲がっている状態からさらに送り込んで穂先からテンションが抜け真直ぐになる状態をいう。つまり弛ませ釣りの一番アタリを出しやすい状態を指す言葉なのだ。
 
 ちょっと脱線するがここでたたき釣りが入っていないよ!と思われた方がきっといるだろう。
デビ船長はたたき釣りはテクニックとしてやる意味がないと教わった時に言っていたのだ。教えを受けた時は理解できなかったが、今なら私も理解できる。
 つまり分類的にはたたき釣りは弛ませ釣りに入るわけで、私的にはどちらかというと細かいあたりは取っていない釣り方として、たたき釣りはまったくやらない釣り方になった事は確かである。
 ぶっちゃけて言えば、弛ませて空合わせを素早く繰り返しているのがたたき釣りの本質だと私は思っている。つまりあたりが出せない時に行う苦し紛れの技なのだ。だから初心者はここから入るのもありである。

 デビ船長に直接指導をしてもらった時、自分が正しいと思っている誘いの操作と理想的な操作の誤差は数センチ単位で指摘された。ただ残念なことにこの三つの釣法を教わっていながら、私のスキルがそこまで達していなかった為すべてを教わっている事すら本人は気が付いていなかったのだ。
 多くの人がそうだと思うが錘を切った状態で掛ける誘い釣り(プラステンション)は苦手でほとんどがゼロテンションかマイナステンションで釣っていたと思う。つまり宙の釣り方が頭ではわかっていても肝心なところがわかっていなかったのだ。そのため掛けることが出来ず、今思えばたまたま掛かってしまったものだけを釣っていたと思う。
 今はその時より動画等の情報があふれている為、知識だけはほとんどの人が同じレベルになっている。となると教わってもわかりにくい部分というか、教えてもらうのではなく自分で考えて理解しないとその先には行けないのだ。
 入舟デビ船長に弛ませ釣りを教わる前はスソ近い釣果だったのが、教わったことで平均ぐらいは釣れるようになった。
 でもまだ餌を取られまくっていたので、今から考えると本当に酷い釣りをしていたと思う。
 この時の弛ませ釣りでメインに使っていた竿がTIFAのスラックというデビ船長一押しの竿だった。この竿は穂先が柔らかく(操作性の良い硬い穂先がバス釣りのころから好きだったので)使い込んでいくうちに何だか勝手に魚が掛かっているような違和感を感じたのだ。まあ実際にエサも取られまくっていたので掛かってしまったカワハギしか獲れていなかった。ある時私がダイワの早技の硬調(中馬さんという誘い釣りの名人が唯一市販の竿で穂先を詰めなかったと言われている竿で私は今も調子の参考に所有している)を船に持ち込んで使おうとしたところ船長がすぐに反応してどうしてその竿を使おうとしているんだ?と質問してきたのだ。そこでデビ船長にスラックの操作性の違和感の話をした所、そうかそれならばこれを使ってみろと手渡されたのがまだ出て間もない極鋭の1455だったのだ。この日一日お借りして直ぐにこの竿の操作性を気に入り船長に買っておいてと頼んだところ釣具屋で買ったほうが早いと言われ釣具屋を回り探しまくって購入したのだった。

 つまり人から教われることは誰でも出来る基本(ここが一番大事なのは確かだが)であってそこから一歩先に行くには漠然と釣りをすることなく自分で色々考えて釣りをする必要があるのだ。
 仮に教わるにしてもよほど自分の問題点が理解出来ていなければ大事な部分に気が付くこともできないのである。逆に何が問題かを自分で分析出来れば教わる必要もないのだが。
 一番良いのは腕の良い船長のいる船宿に通いこんで常連になり船長に疑問をぶつけてみることである。何故ならば船長は色々な釣り人を見ているので適切なアドバイスがもらえるはず。
 この場合の注意点は船長からよく見える位置に釣り座を構える必要があります。

 話がそれたので、2011年7月17日の久比里の巳之助丸カワハギ釣行に戻ろう

 その日巳之助丸で初めて意識してやった宙の釣りでアタリが出せない又は気が付かないうちに餌を取られたり(つまり本アタリがわかっていなかった)とかなり苦戦し、正直おでこを覚悟したほどである。まあ一日で何とかなるとは思っていなかったのですが・・・。
 しかし諦めずにひたすら宙釣りに徹していたら針が口に入った瞬間を捉える事が出来たのである。
 しかもこれが判ってからは掛けるたびに、えっ!またっ!と周りの人が目を丸くするペースで釣ることが出来たのだ。(私にとって判ってしまえばアタリを捉えて掛けるだけなので全然難しくなかったのだが)

 この日7月17日は釣り始めて5時間近く全く釣れていなかった為、竿頭には届かなかったが、自分でもこれは!と思えるイメージと結果(6匹だったが)を得た瞬間だった。(正に開眼と言える感覚)
 おそらくここがポイント。同じ釣れたでも自分でなぜ釣れたのか説明できないけど釣れた場合は開眼とは言えないのだと思う。よくスポーツの世界でも試合の内容が良いとか悪いというのがこの事である。要するに次につながる何かを得られたならば釣れた数が少なくとも内容が良かったと言えるのである。
 その後、いろいろな釣りでの釣果が安定するようになる。

 この次の釣行はカワハギではなく同年の7月30日の日立のフグ釣りだったが、条件も良く宙のアタリをとる感覚が生きて初めてわずか2時間足らずで96匹の大釣りを達成するのである。
 この時のブログ記事はこちら

 実はこれ以前は通常タックル(錘25号以上)を使った外房カットウ河豚でほとんど良い思いをしたことが無く釣果も平均ぐらいかそれ以下のことが多かったのだ。

 さらに翌週の8月6日の日立のフグ釣りでは、宙の誘い釣りにある程度の確信を得る釣果を出すことができた。その時のブログ記事はこちら


その翌日8月7日に忘備録的なフグのカットウ釣りについてと感じたことをまとめた記事を書いている。その記事はこちら


 この秋の定宿でのカワハギシーズンに宙釣りをかなり試行錯誤をしてテストを繰り返してやったと記憶している。でも明らかにその前のシーズンよりも飛躍的に釣果が伸びたシーズンでもあった。
 このように上達する瞬間は突然やってくるのである。(但しこれは基本がきっちり出来ている事が条件である。)基本が出来ていない人はサミングで糸ふけを出来るだけ少ない状態で底を取るからのゼロテンションをマスターしよう。

 でも仮にゼロテンション(弛ませ釣り)をマスターしたとして、そこそこ釣れるようになって満足してしまいただ漠然と聞き上げてあたりが出た後食わせの間の取りやすいゼロテンションへ持っていきそこで食わせる釣りをしていたのでは、この誘い釣り開眼の瞬間に出会っていながら気づかずに逃してしまっている。活性にもよるが錘を底に着ける間にエサを1個ないし2個やられているだろう。この場合聞き上げてあたりが出たらそこであわせて掛けなければ誘い釣りではないのだ。
 つまり聞き上げて錘を底から切った状態であたりを感じたということは一瞬だが針はカワハギの口の中に入っていたのだ。
 その瞬間を捉えるか捉えられないかの差は以下の3つの要素をあなたが持っているかどうかだと思う。
 ①アタリに対し間髪入れず合わせることができる反射神経
 ②人並外れた集中力
 ③錘の重さの変化がわかる鋭い感覚

 私の経験からこれら3つが宙の釣りをマスターするためには必須要素なのだ。
また合わせは考えて合わせるのではなく、無意識で行うのが理想であり私が行っている方法でもある。(理想と書いているのは恐らくここが一番できない人が多いと思うからである)

 今だからこそわかるが、釣りの上達とは大釣りして色々なアタリの経験を積んだり様々な小手先のテクニックを身に着けるから上手くなるのでは無いのだ。釣りの本質とは魚が針を口に入れた瞬間の魚信を捉える感覚とアタリに対し間髪入れず合わせることができる身体能力これに尽きるのである。つまりただ漠然と楽しんで釣りをしている人や上記の3つの要素を持ち合わせていない人の場合は釣りに行った回数と釣りの上達は必ずしも比例しないことのほうが多いのだ。スポーツを喋りながら楽しんでやるのと真剣にアスリート的にやるのとでは結果が違ってくるのは当然の事だというのは誰でも理解できると思う。
 また、釣れない時にその原因を突き止めたくなる気持ちはわかるが、それは無駄な作業である。なぜなら後から考えて原因が判るくらいなら釣れないことはないのである。大事なことは釣れた魚がなぜ釣れたのかを分析することである。

 釣りに行ける回数が少なくとも、また釣れた数が少なくとも、漠然とではなくテーマを持って真剣に対象魚に挑む事で、ある1匹が与えてくれた情報に気が付き分析(自分のイメージとのすり合わせ)する事が出来た瞬間に上手くなるのだと思う。

 簡単に言えば釣りの上達とは少なくとも本人が今までアタリだと気づかなかった事に気づき、それがアタリがある前のどんな事と関連していたのかを分析する事が大事なのである。
 
 これがすべての釣りに共通する究極の奥義かもしれない。

 釣りがスポーツと言われる所以?

 釣りがスポーツ?って昔は思っていた。いったいどこがスポーツなんだ?まあジギングはスポーツと言えなくもないがその他の釣りでスポーツって言えるのか?
 でも本当にスポーツ的な所はあったのである。それは道具や努力でカバーできないところがある事。(ゴルフとかで初心者がプロと同じ道具を使ってもプロと同じようには簡単にはなれないのと同じ)

 ここから先の話を読むとショックを受ける人もいるかもしれない。

 スポーツの世界で努力しても報われない人がいることを私は知っている。私の経験だが柔道で後輩に自分の得意な1本を取れる投げ技での連絡技(表と裏の連続技で私の必殺技)を引退前に後輩に伝授しようとして技の原理や入り方などを事細かく教えた事がある。理論的にも説明し教えたのだが私には簡単な事なのに私と同じことはできなかったのである。この時に自分には簡単に出来る事が必ずしも他人が出来るとは限らないのだと知ったのである。

 つまり今回の宙の釣りについても、微妙な感覚と反射神経がものをいう内容なので私はこうだったとは言えるが、これを読んだ人が同じようにできるかは私にはわからないのである。
 現在の道具の進化からすれば魚がエサを食ったシグナルは個々で感じとるタイミングは別として誰もがわかっている可能性は高い。もし針が口に入った瞬間が解っている場合アタリに反応できるかできないかの差が釣果の差になるのかもしれない。感覚の鈍い人は魚信だと判別する時点ですでに反応が遅いわけで、魚信の判断が遅い場合はそこからどう頑張っても合わせが間に合うわけがないわけです。宙釣りで初心者や感覚が鈍い人がやりがちな勘違いとしては本来の本アタリを見逃した時に出る自分では掛けられないアタリを前アタリだと思っている事。(これが魚信の判別が遅いという事の典型的な例)そして針掛かりしたもしくは飲み込んで暴れているガガガという手ごたえを本アタリと思っている。このタイプの人は飲み込む魚しか獲れていない。(ただしゼロテンションやたたき釣りを含む弛ませ釣りの場合はすべての魚信を捉えきれないのでいきなりこれを感じることがある事は否定しない)
 前アタリが感じられない人が努力により感じられるようになるのかや、針が口に入った瞬間の本アタリに対して反応が間に合わない人が努力によって間に合うようになるのかどうかは正直私にはわからない。

 因みに私の反射神経に関する武勇伝の一つを上げてみる。
昔勤めていたあるIT会社で17時になると本日の営業が終了しましたとメッセージが流れる留守番電話のシステムが使われていた。このシステム電話が鳴ってもすぐにメッセージに切り替わり通常ならば電話の着信を受けることができない。でも私は電話の着信の瞬間に鳴る小さなノイズに素早く反応しシステムがメッセージに切り替えるよりも早く受話器を取り着信できないはずの電話を受けたことがあるのだ。この時にシステムのテストをした人は絶対に取れないはずなのにと驚いていた。このように私の反射神経が尋常ではないのは確かなのだ。
 この説明で少しわかりやすくなったと思うが、私が反応しているのは電話の着信メロディーではなくその前のノイズで体が反応を始めているのだ。この身体能力こそが究極の誘い釣りに必要不可欠なのだ。
 
 もし今ある程度使いこんでいる竿で宙の釣りで上手く釣れない場合は穂先の素材の違うものを使ってみるのも良いかもしれない。ここで大事な事は一つの竿をある程度使い込み使いこなすということである。何故ならばこの最初の使い込んだ竿が基準となり次の竿がもっと穂持ちが固い竿が使いたいとかいうことにつながるからである。これを怠り次々新しい竿に手を出すと結局自分の好みの基準を見いだせなくなるだろう。
 穂先には新しい順から金属穂、カーボンソリッド、グラスソリッド、クジラとカワハギ竿には4種の素材が使われておりメーカーによって同じ素材でも宙釣りでの魚信の出方はかなり違うものである。特に宙での穂先は重要な要素であまり柔らかい穂先は正直向かない。良く出来た穂先とは25号や30号の錘を下げて緩やかに曲がった状態で尚且つ魚信に対しての食い上げや食い下げに対する目感度的表現力が残っていなければならない。
 錘を下げた時にタイムラグを少なくする程度の穂持ちの張りがあり尚且つあたりに対しての目感度的表現力も必要。私感だが反発力の関係かカワハギ釣りなら良く出来たカーボン穂とクジラ穂(グラス穂も調子が出ていれば悪くはない)が好みである。金属穂も悪くはないのだが私の比較ではベストではない。私が感じている金属穂の一番の欠点は穂先の戻りが他の素材より悪いと感じる事と錘を底から浮かした時に柔らい穂先がプラテンの時に曲がりすぎてしまい宙で抑える魚信を捉えにくいという事。また硬めの穂先では同じような他の素材の穂先より目感度に劣ると感じている。
 また気温が下がった時船の走行中に金属素材の穂先に癖がつく経験をしたことがあると思う。通常時の曲がり具合が変化する特性は穂先の微妙な変化で魚信を捉える穂先としては他の穂先より劣る部分である。柔らかいという特徴はゼロテンのように錘を底に着けて釣る釣り方には合うのだが錘を底から浮かす宙の釣りにはちょっと他の素材の穂先より私は微妙な魚信を捉えにくいと感じているのである。

 因みにだがカットウフグなら良く出来たグラス穂が私の宙釣りに向いていると考えている。(フグ竿はグラスと金属穂しか使っていないのでその他の素材を使っている竿があるかどうかわからない)
 (上記は実際私の持っている竿で実釣で比較した範囲での話なので参考程度に考えてほしい)
 
 私が感じているのは弱いシグナルは弱く出す方が釣りやすいかなという事。弱いシグナルも強いシグナルも同じように感じる竿は感度が良いと言われると思う。一般的にこの手の竿は手の感覚の鈍い人はアタリが多く感じられるので感度が良いという事になる。でもクジラ穂の様に弱いシグナルを弱く出す竿のほうが魚には違和感を与えないのである。ただし弱いシグナルを感じなければアタリが出ないとなるので使い手を選ぶ竿といえる。
 また面白いのは人によって釣りやすいのが金属穂だったりカーボンだったりクジラだったりバラバラである。ただアタリが出せる人に共通して言えることは道具や穂先を選ばない事である。ようするに達人クラスになればどんな竿でも感覚を竿にアジャストさせて釣るのである。
硬調の竿が使える人は軟調の竿も使いこなせるが、逆の場合軟調の竿は使えるが硬調の竿は使えない人もいる。

 理論は殆どの人がわかっているはずなのに、宙の釣りで上手く釣れないって言う人を私の周りでも良く聞くのはもしかするとわかっていても出来ない人もいるのかな?と思う。

 蝶のように舞い蜂の様に刺す美しい技(誘い釣り)はカワハギやフグ釣りでは究極奥義と言えると思う。
 柔道でも釣りでも完成度の高い切れの良い技は傍から見るととても美しく簡単そうに見えるのである。
 
 私と同じことが出来ない人もいれば、私よりもっと有効にできる人もいる事だろう。

 信じるか信じないかはあなた次第である。(都市伝説か!)笑い


 おまけとして私が行った努力の部分を公開

手感度を上げる練習としてリールを使わないナイロン糸(ラージ)と釣鐘錘を使った手ばねアナゴを定宿入舟さんで2シーズンぐらいやりこんだ。この経験がカワハギ釣りに応用できるとはこの時は正直思っていなかった。釣り情報という雑誌でナイロン糸を使った手ばね竿で驚異的な釣果を上げるまる八という船宿に集う3名人の記事を見てどんなものなのか興味をもってやってみたのがきっかけ。
 その当時入舟のアナゴ仕掛けは誘導仕掛けが流行していた。でも昔ながらの釣鐘錘(誘導ではない)はナイロン糸を使う手羽の釣りでは必須なのだ。これは実際に試して解ったのだが伸びのあるナイロン糸と誘導仕掛けは相性が最悪なのだ。釣鐘錘は竿先にテンションがかかった状態で魚信を捉えなくてはならない。この聞く動作がある程度のレベル以上になるとカワハギの宙の釣りに応用が出来るのである。

 入舟で行ったナイロン糸を使った手羽のアナゴ釣りは、PE0.6号を使用する最新タックルで竿頭が狙えるレベルになってから行った。しかも当時入舟のアナゴのPEラインは0.6から0.8号を使う人がほとんどだったので、お祭り防止と迷惑にならないか船長に使っても良いか確認してから使用させてもらった。

 このように当時は自分により難しい課題を課して対象魚に挑んでいましたね。釣り座を選ばないとか投げたほうが釣れてもナイロン糸の手羽の船下しばりで釣るなど傍から見れば辛そうな事を楽しみながらやってました。

 さらにPEラインに比べアタリが判りにくいナイロン糸を使った手羽でPEラインでは竿頭が狙える実力があってもナイロン糸に変えたとたんスソ近い釣果に逆戻りした。でもこのタックルで釣る名人がいたので何とか近づきたいと続けることでアタリの出し方が判ってきて最終的にはPEラインを使った最新釣法ばかりの入舟の中でもナイロンの道糸で竿頭に絡めるようになったのだ。この時は本当に嬉しかった事を今でも鮮明に覚えている。
 この時にはカワハギ釣りにこの経験が生きるとは思ってもいなかったが・・・。

 以上のように簡単に釣れる工夫をしない事も腕の上達をするには必要だったりする。
簡単に釣れる工夫をすることで釣果は上がるかもしれない。でもそれは腕が上がったのではなく、道具や仕掛けの良さで腕の無さをカバーしただけなのである。またその工夫が使えなくなったときに本当の腕が試されることとなる。
 工夫は自分だけがシークレットとしてやっていれば効果があるが、みんながその工夫真似て使い始めてしまえば効果が激減してしまう。
 腕の差の場合、相手が自分の誘い方をマネをしても肝心の魚信を捉えて掛け合わせる腕が自分のレベル以上にならなければ釣果の差は縮まる事は無い。
 つまり誘いの動きをマネされても釣果に差が出る状態こそ腕の差と言えるのである。
 
 こういう微妙な感覚などは若いうちに音楽やスポーツに一生懸命真剣に打ち込むなどして色々な面で鍛えておかねば身につかないと思う。

 またカワハギ釣りの上達にも役立つフグ釣りですが、東京湾式と外房式のどちらがより効率的かと聞かれればカワハギ釣りと錘の重さの同じ外房式のほうが東京湾式より比較にならないくらい練習になる。

 理由ば同じ喰い渋りのアタリに関してなら錘が重いほうがより難しいから。さらに外海にはうねりという厄介な要素もある。
 フグ釣りは東京湾のほうが難しいという都市伝説があるが、これは東京湾専用フグ竿がまだなかった頃、自分で竿を作ったり改造しなければならなかった為敷居が高かった名残なのである。
 またこの都市伝説は魚の絶対量が外房の方が多い事も関係していると思う。東京湾と同じ数を釣るのなら外房の方が簡単と言えるかもしれない。

 東京湾のカットウ釣りのほうが錘も10号前後と軽いため外房のカットウ竿より柔軟な穂先が使える。その為フグの小さなアタリがより大きく表現されるからわかりやすいし、湾内はうねりもない。外房の25号~30号を使う穂先で同じ小さなあたりを取るよりも簡単なのである。
 簡単に言えば東京湾も外房もフグのアタリが小さいことには変わりがないのである。その小さなアタリを表現するのは軽い錘負荷の柔軟な穂先のほうが初心者にもわかりやすいのである。

 ただ外房式フグ釣りもアタリを取らない空合わせのタイム釣り でやっていたのではカワハギ釣りの上達にはつながらない。アタリが取れていない場合は釣果が安定せず良いときは良いがダメなときはスソに近いようなムラの多い釣果になるだろう。

 あたりまえですが大事なのはすべての感覚を研ぎ澄ましてアタリを見極める事である。

 また釣り座も常に潮先にいたのでは、その日の竿頭にはなれても自分のレベルをアップする妨げになると思う。
 これは竿頭を目指すことを否定しているのではない。竿頭というのはその日の船での1番釣った人という意味だが当然乗っている人のレベルが全体的に低かった場合は竿頭になってもただの自己満足にすぎない。大事なのは対魚との勝負のほうである。
 例えばあなたがカワハギの乗合船で20匹釣り竿頭になれたとする。当然うれしいと思うのだが、ここで今日の魚との勝負がどうだったのかを考えてみるのが大事なのだ。一日の釣りを振り返ってみてエサを魚信を感じられずに取られた確率がどのくらいあったのか?これが50パーセントもあったらこの竿頭は全く意味のないものと考えなければならない。この例の場合ほとんどの魚信を捉えて掛けられる達人なら計算上で40匹は釣っているわけである。スポーツ的に言うなら試合に勝ったが試合内容が良くないということになる。
 これが1匹釣るのに残り2つの餌を食われている場合は計算上では達人は60匹(人間なのでミスも考慮し実際は50匹くらいか)の差になってくるのである。
 私の経験ではこの確率が低ければ低いほど船での上位率は高くなります。ほとんどの魚信を捉えられるレベルに達すればカワハギの活性の高い時には常にダントツの釣果が出せるはず。
 この基準で考えれば結果(竿頭)は後からついてきます。
 
 またこのレベルに達すると初対面でも釣りが始まると船長や同船者から何らかの接触してくることが多くなります。つまり釣り人も真剣でこいつはなかなかやるなと思われれば船長もそれに応えてくれるという事である。
 逆の悪い例で言えばせっかく良いポイントに入っても一人も真剣な釣り人がおらずエサばかり取られていて釣果が出なければ、私が船長なら相当なストレスになると思う。そんな状況下ではお互いに良い結果は出にくくなるのは当然である。(真剣にやっているかどうかの判断は簡単である。フグやカワハギ釣りですべてのアタリを見逃さないように集中した場合、喋りながら釣りをする余裕などないはずなのだ。)

 私が色々な釣り人を見て感じるのは腕が悪い人ほど自分の腕を棚に上げて釣れないのを船長の所為にする事が多いかな?
こういう考えの(自分に原因がないと考える)人はまず上達しないね。たぶんドキッとした人いるんじゃないかな。(笑)
 
 腕の上達の為にどんなことをすれば良いのだろうか?

 まずはテクニックについて色々な情報があると思うが先ずは自分で試してみる事かな。結構テクニックとか自分で色々試して本質を見極めず雑誌の情報やプロの宣伝文句を鵜呑みにしてしまう人が多いと思います。意外と雑誌とかに書かれているセオリーが本質を捉えた正解とも限らないのだ。つまり雑誌などは取材して聞いた事をまとめて書くわけで説明が下手な人から聞き取り記事にした場合、間違った解釈をしていることもあるという事。
 また私のような悪いものは悪いと書く正直な記事の場合、雑誌やTVならスポンサー(広告主)に配慮(大人の事情ってやつ)して没ネタになる可能性も高い。
 私が釣りは腕の良い船長に習えという理由もこういったメーカーとかのしがらみのない人に習ったほうが良いと思うから。自分がそれで食っていかなければならないプロは本当のキモは教えないと思う。(もし自分がプロだったら自分が大会で不利になることはたぶん教えないし、このような考えで釣りをしているという解説はしないと思う)逆に船長さんは常連さんに上手くなって沢山釣ってほしいと心から思っているのだ。何故ならば釣果が良い船宿は集客につながるからである。またメーカーのしがらみのない船長は竿や仕掛けにしても本当に良いものやその人に合いそうなものを勧めてくれることが多い。
 たとえるなら家電量販店でTVを買おうとして自分の目ではこのメーカーが良さそうと思っても対応してくれた店員があるメーカーからの派遣だった場合そのメーカーのTVを進められるのと同じ。
 
 次に釣り座だが、腕の上達ではなく単純にその日の竿頭を狙うのであれば断然潮先である。でも実は潮裏にこそ早く上達するキモがあるのだ。つまり誰にでも釣れる喰いの良い解りやすいアタリだけ取っていては上達しないのだ。スレッカラシの魚を攻略することが上達するという事だから。
 胴の間船下しばりが一番の練習法かも。(まあ実際にやると辛いけどね!でも効果は抜群)

 でもこれだけ宙の誘い釣りの核心部分を書いたのだから、まだ宙の釣りを本格的に取り組んでいない人ならば、出来る人は1日通してやれば理解出来るはずです。そしてわかった人にはやっている事はごく普通で決して難しくない事もわかると思う。一番の難しさはその簡単な事の重要性に気が付くかどうかかもしれない。
 さらに開眼後はこの誘い釣りが軸になりカワハギやフグに限らず色々な釣りで安定した釣果が得られると思う。なぜならすべての釣りの基本なだけでなく限りなく応用が利く釣り方なのだから。
 既に何度もチャレンジしていて、未だ開眼できない場合は.・・・残念だが素質(才能)の問題かもしれない。

 よくありがちな誘いの勘違いについて

 誘いを勘違いしている人の多くはただ動かしていれば誘いだと思っている事。
誘いにパターンなどなく、状況に合わせる事が一番大事なことである。
典型的な例ば速く誘う事しかできない空合わせのカットウ釣り。自分では誘いのつもりかもしれないが実はこれは誘いとは呼ばないのである。速い動きに反応している状況下では誘いと呼べても反応していない状況に対応できないひとなら本当の意味で誘えていないということになる。
 つまり究極の誘い釣りでは状況に合わせて誘うことから誘わないまで変化させられるスキルが必要なのである。これが一番難しいのかも。(笑い)
 私に言わせれば動かさないほうが良い状況に対応できない、つまりスピードを変えられても動かす事しかできなければただのワンパターン釣法にすぎないのだ。これでは状況が変わった時に釣れないのは当たり前である。
 状況の変化に対応した誘いが出来る事が最も重要な事である。(つまり状況によれば誘わない誘いや弛ませる誘いも存在するという事。)つまりオールラウンダーでなければ究極の誘い釣りは完成しないのだ。つまり厳寒期などは動かさない釣りや弛ませる釣りの比率が増えるという事。
 そのくらい臨機応変に対応する必要があるという事。

 因みにフグやカワハギ釣りで活性が高い時期は私の空中戦の比率は約90パーセントです。そのくらい宙の釣りは私の釣法の基本であることは確かです。
 ただ弛ませ釣りからカワハギ釣りに入ったのでやれなくはないですが、今ではほとんど使いません。ほとんどの場合一瞬錘を底に着けたぐらいで勝負出来ています。

 もしここに書いた事を実践しても理解できないなら究極の誘い釣りは諦めて自分の得意な釣法を極めた方(得意な部分を伸ばす)が結果としては良いのかもしれない。
 厳しいようだがこれが現実なのである

 それでは
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。