思い出の曲 [日記]
私にはたぶん一生忘れることのできない思い出の曲がある。
それは、銀色の道という曲である。
何故銀色の道が思い出の曲かというと、中学1年の時の合唱コンクールの課題曲で私がそのピアノ伴奏を担当したから。
実は私がピアノを習い始めたのは小学校5年生からと遅い。
何故私がピアノを習い始めたのかというと、音楽の先生のピアノ演奏を聴いてあんな風に楽器を弾いてみたいと思ったことがきっかけ。
我が家にアップライトピアノがあり妹が既にピアノを週1回ピアノ教室に通っていた。そこで両親に私にもピアノを習わせてくれとお願いしてみたのだ。
その当時、男がピアノ!!みたいな風潮もあり父親は反対したが母親がやるだけやってみたらとピアノ教室に行ってみたが最初はピアノの先生に3歳くらいから始めないと上手にならないと断られたそうである。でも上手くなるだけが目的ではないのでと先生を説得し無事ピアノを習い始めることに。しかし習い始めてもそれほど真剣に練習した記憶はなくもっと練習してくるようにと言われていたような気がする。それでも本人的には少しずつ上達しているので満足していたのだ。
そんな感じで週1で習いながら確か発表会にも参加し簡単な曲を緊張しながら弾いた記憶がいまだに残っている。
そして2年後の中学1年のある音楽の授業の日に私の運命を変える大きな出来事が起こる。
音楽の授業中に先生がこの中でピアノを習っている人は手をあげてと言ったのである。私はこの時に次に起こることを考えもせずに反射的に手をあげてしまったのだ。
見回すとクラスで5人くらいの女子と私が手をあげたのだった。
当然男子でピアノは目立つわけでてを引っ込めようとした瞬間それでは君がこの課題曲のピアノの伴奏担当ねと楽譜を渡されてしまったのだ。
しかもその楽譜を見ると私には到底歯が立たないレベルだということは一目でわかった。やばい!やばすぎる。そして私は先生にこの楽譜は私には難しくて弾けそうにないですと相談することに。
しかし先生は言った。とりあえずピアノの先生に楽譜を見せて練習してきなさいと、練習してもダメだったら違う人にしましょうと。
私は家に帰って母親に相談しとりあえずピアノの先生に連絡を取り楽譜を見せに行くことに。するとうーんこれは正直無理だから音楽の先生に言って断ったほうが良いと。私は正直に断ったがまず練習してみてダメだったら違う人にすると言われたことを伝え何とかなりませんかとお願いした。するとピアノの先生はこのままだと合唱コンクールの期限に間に合わないのでぱっと聴いてわからない程度まで編曲してあげるからと言って私専用のオリジナル楽譜に作り直してくれたのだ。それでも今までの週1の練習ではとても間に合わないので毎日練習に来ることが条件になった。その当時の私のピアノレベルは楽譜を編曲しても毎日必死に練習してギリギリ間に合うかどうかだったのだ。今思うとピアノの先生も私の生徒が合唱コンクールの伴奏に選ばれながら弾けなかったと言われたくないみたいな先生としてのプライドみたいのがあったのかもしれない。私も少しでも可能性があるなら伴奏を諦めたくないし弾いてみたいと思っていたことは事実なのである。
とにもかくにも私とピアノの先生は同じ目標に向けて本気で動き出したのである。
そしてその次の日から猛特訓が開始されたのである。まずは右手だけ左手だけのお決まりの基礎練習で暗譜するまで練習を重ねた。そしてゆっくりの両手での練習に入りある程度弾けるようになったらスピードを上げる練習に。そしてある程度速く正確に弾けるようになったら今度はメトロノームに合わせて指揮者のテンポに合わせる練習をして最初の練習に間に合わせることが出来たのだった。先生も必死だったが生徒も必死に頑張ったのである。
そしてこの時に人間何でも必死にやればできるという大事なキーワードを体感したのである。
そして音楽室での練習も無事終わり本番前の体育館での壇上でのリハーサルの時である。ここで私は人生で初めて緊張で真っ白になるという貴重な経験をすることとなる。
指揮者か指揮棒を振った瞬間頭の中が真っ白になって暗譜していたはずの楽譜が出てこないというか体が動かなかったのである。クラスのみんなに大丈夫だからと励まされて何とか我に返り無事練習を終えたことはもうよく覚えていない。確か練習時間中を使って出来るだけやったような気もする。(もうあまりの昔の話なのと緊張していた事もありはっきりしない)
そして合唱コンクールの結果はそこそこ良かったと記憶している。私的には無事やり切った事で一杯で順位などどうでもよかったのだ。
結局中学から始めた部活動の柔道の練習が忙しくなり高校2年くらいでピアノを習うのはやめてしまったのだが簡単な楽譜なら今でも練習して弾くことは出来るのである。
ただ銀色の道だけは必死に練習しただけあり楽譜はもう見つからないのだがいまだに伴奏を体が覚えていて偶にしか弾かなくとも前半はその当時のまま弾けるのだから人間の能力とは面白いものである。
それでは
それは、銀色の道という曲である。
何故銀色の道が思い出の曲かというと、中学1年の時の合唱コンクールの課題曲で私がそのピアノ伴奏を担当したから。
実は私がピアノを習い始めたのは小学校5年生からと遅い。
何故私がピアノを習い始めたのかというと、音楽の先生のピアノ演奏を聴いてあんな風に楽器を弾いてみたいと思ったことがきっかけ。
我が家にアップライトピアノがあり妹が既にピアノを週1回ピアノ教室に通っていた。そこで両親に私にもピアノを習わせてくれとお願いしてみたのだ。
その当時、男がピアノ!!みたいな風潮もあり父親は反対したが母親がやるだけやってみたらとピアノ教室に行ってみたが最初はピアノの先生に3歳くらいから始めないと上手にならないと断られたそうである。でも上手くなるだけが目的ではないのでと先生を説得し無事ピアノを習い始めることに。しかし習い始めてもそれほど真剣に練習した記憶はなくもっと練習してくるようにと言われていたような気がする。それでも本人的には少しずつ上達しているので満足していたのだ。
そんな感じで週1で習いながら確か発表会にも参加し簡単な曲を緊張しながら弾いた記憶がいまだに残っている。
そして2年後の中学1年のある音楽の授業の日に私の運命を変える大きな出来事が起こる。
音楽の授業中に先生がこの中でピアノを習っている人は手をあげてと言ったのである。私はこの時に次に起こることを考えもせずに反射的に手をあげてしまったのだ。
見回すとクラスで5人くらいの女子と私が手をあげたのだった。
当然男子でピアノは目立つわけでてを引っ込めようとした瞬間それでは君がこの課題曲のピアノの伴奏担当ねと楽譜を渡されてしまったのだ。
しかもその楽譜を見ると私には到底歯が立たないレベルだということは一目でわかった。やばい!やばすぎる。そして私は先生にこの楽譜は私には難しくて弾けそうにないですと相談することに。
しかし先生は言った。とりあえずピアノの先生に楽譜を見せて練習してきなさいと、練習してもダメだったら違う人にしましょうと。
私は家に帰って母親に相談しとりあえずピアノの先生に連絡を取り楽譜を見せに行くことに。するとうーんこれは正直無理だから音楽の先生に言って断ったほうが良いと。私は正直に断ったがまず練習してみてダメだったら違う人にすると言われたことを伝え何とかなりませんかとお願いした。するとピアノの先生はこのままだと合唱コンクールの期限に間に合わないのでぱっと聴いてわからない程度まで編曲してあげるからと言って私専用のオリジナル楽譜に作り直してくれたのだ。それでも今までの週1の練習ではとても間に合わないので毎日練習に来ることが条件になった。その当時の私のピアノレベルは楽譜を編曲しても毎日必死に練習してギリギリ間に合うかどうかだったのだ。今思うとピアノの先生も私の生徒が合唱コンクールの伴奏に選ばれながら弾けなかったと言われたくないみたいな先生としてのプライドみたいのがあったのかもしれない。私も少しでも可能性があるなら伴奏を諦めたくないし弾いてみたいと思っていたことは事実なのである。
とにもかくにも私とピアノの先生は同じ目標に向けて本気で動き出したのである。
そしてその次の日から猛特訓が開始されたのである。まずは右手だけ左手だけのお決まりの基礎練習で暗譜するまで練習を重ねた。そしてゆっくりの両手での練習に入りある程度弾けるようになったらスピードを上げる練習に。そしてある程度速く正確に弾けるようになったら今度はメトロノームに合わせて指揮者のテンポに合わせる練習をして最初の練習に間に合わせることが出来たのだった。先生も必死だったが生徒も必死に頑張ったのである。
そしてこの時に人間何でも必死にやればできるという大事なキーワードを体感したのである。
そして音楽室での練習も無事終わり本番前の体育館での壇上でのリハーサルの時である。ここで私は人生で初めて緊張で真っ白になるという貴重な経験をすることとなる。
指揮者か指揮棒を振った瞬間頭の中が真っ白になって暗譜していたはずの楽譜が出てこないというか体が動かなかったのである。クラスのみんなに大丈夫だからと励まされて何とか我に返り無事練習を終えたことはもうよく覚えていない。確か練習時間中を使って出来るだけやったような気もする。(もうあまりの昔の話なのと緊張していた事もありはっきりしない)
そして合唱コンクールの結果はそこそこ良かったと記憶している。私的には無事やり切った事で一杯で順位などどうでもよかったのだ。
結局中学から始めた部活動の柔道の練習が忙しくなり高校2年くらいでピアノを習うのはやめてしまったのだが簡単な楽譜なら今でも練習して弾くことは出来るのである。
ただ銀色の道だけは必死に練習しただけあり楽譜はもう見つからないのだがいまだに伴奏を体が覚えていて偶にしか弾かなくとも前半はその当時のまま弾けるのだから人間の能力とは面白いものである。
それでは
私も合唱コンクールの時、ピアノ伴奏やって
似たような経験をしましたよー
私の場合は、指揮者の指揮棒が見えなくて、
最初の出だしが弾けなくて一瞬真っ白になりました。
でも、見えない旨を伝えて事なきを得、無事演奏終了しました。
それにしても、がんばりましたねー!
by nicolas (2018-06-01 17:16)
nicolasさん
私も自分自身で真っ白になる経験をするまでは、よく真っ白になる話には聞いていましたが実際はそんなことはないだろうと思っていました。でも本当に真っ白になるんですよね。(笑い)
無事に合唱コンクール本番を終えた後はあの時に手をあげて伴奏者に選ばれてよかったと思いました。
おそらく選ばれていなければピアノをあれほど真剣に練習していなかったと思います。この時の経験がその後の柔道や社会人になってからの仕事にも生きて本当に良い思い出となっております。
今でもキーボードで時々ですが色んな曲を弾いています。下手だけど。
by matsui (2018-06-01 18:22)